同窓会活動のご案内

医14回生クラス会

開催日時 2023年11月23日
会場 山の上ホテル
回生 医14回生クラス会
報告者 山科正平(医14・昭41卒)

 昭和41年卒14回生の俗称41クラス会はこれまでほぼ年1回のペースで、メンバーの出身地あるいはゆかりのある地域で開催されてきた。しかし、2019年の信州での開催は台風の来襲により中止。その翌年から始まった新型コロナのパンデミックで外出もままならぬ状態が三年余に及んで中断されてきた。そろそろコロナも先が見えてきた2022年秋に、顔を合わせた数名のメンバーから2023年の梅か桜の頃には再開しようとのことで、その季節を待っていた。ところが梅の頃に幹事の小松清秀が病気療養のため入院という思いがけない出来事が勃発して、クラス会どころではなくなってしまった。
 クラス会を再開できぬままでいる間に、関口清二、小松英昭、三好邦雄、上笹皓、吉田賢一郎、浅井邦彦の6名が次々と逝去され、残り少なくなってきたメンバーにとっては一日でも早い再開が火急の課題となってきた。幸いにも小松清秀が半年余に及ぶ闘病から見事に寛解を得て再び人間社会に甦ってきたので、この期を措いてないとの判断より、2023年11月23日12時30分より母校近くの山の上ホテルにて開催に漕ぎつけた。当日朝になって田上洋子がワクチン接種による発熱で参加できなかったほかは、同伴者を含めて14名が待ち構えていたようにヨボヨボと、あるいは孫に手を引かれて馳せ参じ、古い校舎の講堂や実習室で額を付き合わせ、研鑽に努めたあの面々が、それぞれに加齢変化を漂わせつつも、賑やかに再会することができた。集会はお互いの無事を確認して記録にとどめる集合写真の撮影から始まったが、来るべき2名の遅刻者を待ちきれずシャッターが押された。撮影は永らくこの役を担当してきた瀬尾威久に委ねたことは言うまでもない。 
 6名の物故者へ黙祷を捧げた後、前橋から参加の桜井芳樹の乾杯の発声でフランス料理による宴が開始。しばしの歓談に続いていつものように各自の報告。未だにフルタイムで医療の最前線で患者に向き合うのは岡田弘と本宮武司だけのようで、他はパートあるいは患者役に廻って医療の問題を肌で感じつつも、大方は悠々自適の老後を楽しんでいる。
 終宴となって近く改修工事に入る山の上ホテルの玄関前に出たところ、遅刻していた菅田夫妻がタクシーで駆けつけ、ここでやっと参加予定者が全員揃って一次会は終了。余力のある10名ほどは駿河台の坂を登って母校の前庭に新しくできた植え込みを散策、卒後50週年記念で植樹した梅の木が大きく育っていることを確認。そのまま湯島会館でお茶を飲みながらの二次会となった。
 思い返せば昭和41年3月の卒業時に49名で発足した41クラス会、慌てて彼岸に渡った22名を見送りながらも、半数越えの27名が現有メンバーとして減衰線の上にしがみついている。随所に慢性病を抱えているものもあるようだが、それぞれに意気軒昂なので、これからも何回でも41クラス会を繰り返して互いの無事を確認し合いたいものだ。

参加者

後列左より:中野、岡田、安藤、山科、小松、瀬尾
前列左より:桜井徹志、本宮、北田、小川、安藤夫人、平山、遠藤、桜井芳樹

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開催日時 2019年1月17日(木)
会場 湯島天神前「天庄」
回生 医14回クラス会
報告者 本宮武司(医14・昭41卒)

 平成31年1月17日(木)正午から医14回(昭41卒)クラス会(新年会)が開催されました。今回は旨いものを食べたい要望に応えて湯島天神前の老舗の天ぷら屋「天庄」を会場に選びました。出席者は12名。
 各々好みのビール、ノンアルコールビール、ワインなどで乾杯の後欠席者の情報報告をしました。初めての平日開催でしたが、仕事で欠席の返事が多いことから今後は従来通り土曜、日曜の開催が決まりました。次いで出席者の現況報告です。
 老年病学者の安藤君は赤ワインオンリーの酒飲みです。彼の説ではフレンチパラドックスの原因は赤ワインの摂取にあること。ブドウの果皮に含まれるポリフェノールの一種レスベラトロールのアンチエイジング効果が強く関与していること。彼は長生きのため毎日赤ワインを飲んでいるとのこと。隣の奥さんがすかさず朝からワインを飲んで飲みすぎですとご披露。周りからも赤ワインでなくブドウジュースや干しぶどうにしたらと反論されました。北田君は遅刻の常習者ですが、今回も道に迷って1時間半の遅刻。クラス会事務局の小松(清)君は週末農業者ですが最近は腰痛症で身体の自信がないと弱気。桜井(徹)君は医師会の当番を代わってもらい出席、ゴルフ好きだがプレー仲間が少ないと嘆く。桜井(芳)君は前橋からの参加。難病である頚椎黄色靭帯骨化症の手術を受け成功して外出が楽になったとのこと。田上さんは小児神経科のクリニックを閉めてほぼ引退の状況。平山さんは小児科クリニックを閉じイタリア語など趣味の生活三昧の様子。三好君は昨夏に腰部脊柱管狭窄症の手術を受け成功、ゴルフもできるとのこと。山科君は解剖の教科書に続いて発生学の本を執筆中とのこと。趣味の動物写真でも世界中を飛び回っています。吉田君は夷隅勝浦の医師会長を辞し有床診療所を無床に変え息子の参加もあり半分引退の様子。本宮は長女の眼科クリニックに内科、循環器内科を併設して11年毎日患者を診ています。
 次回クラス会は10月の連休に信州上山田温泉の予定です。
この原稿執筆中に青崎君が亡くなったとの訃報が入りました。合掌。

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開催日時 2018年6月16~17日
会場 ハートピア熱海
回生 医14回生
報告者 本宮武司(医14・昭41卒)

 昭和41年卒クラス会が6月16日(土)~17日(日)の二日間熱海市伊豆山のハートピア熱海で開催された。卒業して52年、今年度は全員が77歳以上となり喜寿をお祝いすることとなった。最年長は歯学部から学士入学の清水君と台湾からの留学組関口君の88歳である。併せて山科正平君が講談社から「新しい人体の教科書」上下2巻を上梓したのでそのお祝いを兼ねた。
 土曜日の午後に熱海駅前に集合、先ず山の上にあるMOA美術館へ。総延長200mの巨大なエスカレーターに驚きながら、中央ホールでは天井一杯の万華鏡を見た後、特別展「琳派 光悦と光琳」を堪能した。
今回のクラス会は直前に中野君のキャンセルがあったが、それでも夫婦での参加6組を含む23名の参加者を得て最近では最も多かった。卒業49名中物故者13名である。後期高齢者となって病を抱えての参加も多く、脳梗塞後遺症やロコモティブシンドロームなどのため施設内車椅子移動もあり、今後はバリアフリーの会場選定が必要である。
 宴会場では幹事本宮による開会挨拶、佐久市から参加した角田君による挨拶と乾杯の後、瀬尾君による記念撮影を行った。その後は全員の近況報告と山科君による出版挨拶があり、著書の売れ行きは上々で早くも改訂版に向けた作業が始まるとのことである。宴の途中でラテン歌手クリスティーナ三田とその仲間による演奏があり、懐かしい学生歌「我等が医科歯科大学」と第二校歌の「湯島の白梅」を全員で合唱した。最後に樋口君(桂 房房)による最近恒例になった落語で宴を閉じた。
 今回は全員が宿泊し、翌朝は相模灘を見渡す展望レストランで初島や遥かに大島を眺めながらバイキング朝食を楽しんだ。朝食後マイクロバスで海岸へ、お宮の松があるお宮緑地で尾崎紅葉の金色夜叉の解説を聞いてから記念撮影。世界三大花木の一つ紫色のジャカランダの花を見ながら散歩して熱海芸妓見番歌舞練場へ。今でも120人はいる芸妓の舞「華の舞」を最前列の特等席で鑑賞した。昼食はモダンな雰囲気の新広楼で中華のコース料理をオーダーしたが、食べきれず一部は夕飯用にテイクアウトとなった。最後に大正・昭和の浪漫あふれる熱海の三大別荘の一つで、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎など多くの文豪に愛された起雲閣を見学し、天候に恵まれた2日間に感謝して解散した。

参加者

後列左より:浅井邦彦夫妻、進藤勝久、三好邦雄、樋口二三男、菅田安男、山科正平、北田博大、桜井徹志、
小松清秀、吉田賢一郎、瀬尾威久

前列左より:安藤 進、田上洋子、安藤夫人、進藤夫人、小松夫人、小川小夜、小松英昭、本宮武司夫妻、
角田慎弥夫妻

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開催日時 2017年7月19日(水)
会場 お茶の水医学会館8F
回生 医14回クラス会(暑気払いの会)
報告者 小松清秀(医14・昭41卒)

 昭和41年卒業生は、7月19日に、お茶の水医学会館8階で、暑気払いの催しを行なった。11名の参加を得た。5人が参加出来ず残念と、近況を寄せて下さった。現在35人がクラス会総数である。うち、2名は留学生でアメリカ在住である。入学・卒業時には総数49名であった。昨年、大学卒後50周年を祝った。親睦を今後も継続しようと、総会の他に、不定期にミニクラス会を持とうとの意見があり、今回の暑気払いの会の開催となった。
 会は最初に、今年1月21日に亡くなった久保田智先生の御冥福を祈った。先生は人工透析の黎明期に透析クリニックを横須賀市に開業し、多くの腎不全患者の治療に当たった。企画力、自立心溢れる好漢だった。北田先生から墓参の報告を受けた。三好先生は画家AKI(木下明幸)が療育により心的障害を乗り越え、優れた色彩感覚を開花させ、国際的画家となった事を紹介した。実作が示され、山下清の再来と感歎の声が上がった。山科先生は生き物達の撮影で世界を旅しているが、この日は丹頂鶴の微笑ましい写真集をスライドで供覧した。菅田先生は郷里の古い実家にマイクロミュージアムを開設し、その家屋が国登録有形文化財に推挙されたと語った。皆、こもごも、近況や関心事を開陳し歓談大いに盛り上がり、卒後51年目を元気に踏み出したことを喜びあった。また、歯学部同級生との交歓の場を持つようにしたいとの提案もあり、今後の課題とされた。
 最後に、41クラス会幹事の小松英昭先生がクラス会を10月28日、29日に行なうので奮って参加を、と呼びかけ、その日の再会を約し暑中にひと時の涼を得て帰途に付いた。
 お茶の水医学会館は、大型で鮮明なスライド供覧が可能で、講堂もパーテイー会場の雰囲気が出るように準備され、プレゼンティションを伴うクラス会には格好の場であった。

参加者

後列左より:三好邦雄、菅田安男、石山嘉信、山科正平、小松英昭、小松清秀
前列左より:上笹 皓、北田博大、小川小夜、桜井徹志、浅井邦彦
 

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開催日時 2016年10月30日(日)
会場 阪急ホテル
回生 医14回クラス会
報告者 進藤勝久(医14・昭41卒)

 平成28年10月30日、大阪府吹田市エキスポランドの阪急ホテルで昭和41年卒業の医科同窓会を開催した。既に6月25日に母校M&Dタワーで卒後50周年記念医歯合同クラス会(同級の大山前学長叙勲受章祝賀)を、10月16日には14期卒業生の50周年記念植樹を行った後の医科クラス会にもかかわらず、17名の参加を頂いたことに、絆の力強さが現れた。13名の物故者と2名の海外在住者を擁する41クラス会ではあるが、音楽家、連歌師、落語家、朗読家、写真家、鉄道研究者、開墾農業者、美術評論家、陶芸家、作家等、多彩な顔ぶれで、個々人の特性を尊重しながら、旧交を深める50周年記念となった。
 初日は国立民族学博物館で観覧した後、岡本太郎作「太陽の塔」を仰ぎながら、自然文化園を散策してホテル会場へ集合した。会合では卒後50周年記念行事等の報告、来年度幹事の選出等が行われた。一段落したところで、参加者中最年少の本宮武司による乾杯音頭で晩餐会が始まった。最初に「桂 房房」と自称する樋口二三男が半時間余りの落語「ヤブ医者」で皆を笑わせた。日頃のストレスが吹飛んだだけでなく、食欲旺盛になって、特別メニューの祝膳も綺麗に平らげ、料理長が感涙した。腹底から笑いこけた後、各自の近況紹介をしたが、思い出を語るだけでなく、余生・将来の生き方と専門領域・経験からのアドバイスを主題にした。4分の3世紀を何とか生きてきたが、残る4分の1世紀の生きがいをお互いに学んだ。つまり、最初の25年は教育され、次の50年は社会の中で各自の道をがむしゃらに生き抜いて、これからは自然のなすがままに楽しみながら幼児化して原点に帰することになる。周囲には迷惑をかけたくないと言いながらも、生後の25年同様に周囲の世話にならざるを得ないのであろう。
 メインディッシュを過ぎて、クイズで遊んだ。在学時代の教授の顔写真25枚を出して、”Who was I?” で順番に当ていったが、恩師の顔は50年以上たっても忘れていないことが分かった。最後に学生歌練習をするに当って、まずは、在学時代にはなかった校歌に代えて歌っていた「湯島の白梅」を皆で合唱した。音感と声が整ったところで、母校のホーム頁から取り出した楽譜を基に、初めてみる学生歌「我等が医科歯科大学」を歌ってみた。節回しが分ったところで大声の合唱を試みた。歌詞は特に3番が母校の精神を表しており感激したという声がある他方では、あれは応援歌で全体的に詩心が足りないと言い出す輩も出てくる始末。曲は向学心を掻き立てるもので、誰も文句なし。9時丁度に閉会したが、歌い続けたので、飲み放題の酒類も十分に飲めず、2次会へ繰り出した者もいた。
 翌日は大阪日本橋に出向いて文楽を鑑賞した。初めて見た文楽には、江戸時代の浪速や江戸町人の心意気が横溢し、胸打つものを感じる他方では、人形の細かい義理人情の表現を凝視するのに疲れ、また7・5調の浄瑠璃の語りと三味線の音色に吸込まれて、心地よい睡魔に見舞われた者も数人いた。
 わが14期生の特徴は、文楽ではないが、実力を持ちながらも庶民の為に尽くす高潔さ故に、旧帝大ほどには社会的に高い評価を得ることもなく、包容力と忍耐力を兼ね備えた友情が50年も続いていることにある。これからの25年間が岡本太郎や近松門左ヱ門ほどでなくても、14期生独特の芸術・演劇作品になることであろう。 それにしても、足に豆を作り、腰を痛めて、手足を震わす程に疲れた後期高齢の2日間であった。当日の幹事が、迎車ジャンボタクシーの待合せ南玄関を、南向き「太陽の塔」の見える北玄関に誤誘導したボケ集合は最後のオチであった。

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開催日時 2016年6月25日(土)
会場 大学M&Dタワー26F「ファカルティラウンジ」
回生 医14回クラス会(卒後50周年記念行事)
報告者 山科正平(医14・昭41卒)

○第14回生、卒後50周年記念行事を挙行
 昭和41年に医学部を卒業した第14回生は今年、卒業50周年を迎えることとなった。これまでにも30周年、40周年、大山喬史君の学長就任及び退任の折に、歯学部と合同で祝賀行事を開催してきた。この度も合同記念行事を実施すべく、昨年7月に歯学部と共に実行委員会を発足させて、記念パーテイと卒業記念文集“Twin Bridges 50”の刊行が決まった。その後、50周年記念植樹を行う案が浮上し、企画は3本柱で進行した。以下はその記録である。

1.合同記念パーテイ
平成28年6月25日午後5時より、母校M&Dタワー26階のファカルテイラウンジで開催された。参加者は医学部25名(内、同伴者2名、歯学部同伴者1名を含めて28名)、総勢53名が国内各地から馳せ参じてくれた他、蔡友禧君ご夫妻もニューヨーク市から来日され、旧知の友が一堂に集う賑やかな祝宴となった。
折しも、大山喬史君には2期6年にわたり本学学長を歴任された功績により、瑞宝重光章の叙勲に浴する栄もあったので、本会はこの祝賀の意も込めて行われた。細井君(歯)による業績紹介、引き続き祝賀の花束が贈呈され、大山君は謝辞で「よき友に恵まれた。」と半生を語ってくれた。
開宴にあたり、近藤君(歯)より自作の漢詩、「飲酒」と題する五言絶句の紹介があり、引き続き彼の音頭のもとに全員が高らかに乾杯を唱和した。宴席では教養部時代の通り、医、歯がそれぞれ名簿順に入り交じってテーブルを囲み、回顧談に花を咲かせながら酒食に興じた。宴席の途中、医学部からは遠来の蔡友禧君、進藤君が、歯学部より加藤、宮村両君の近況報告があり、また樋口君の「目薬」という演目の落語や高木君のハーモニカ独奏の余興もあり、万雷の喝采が浴びせられた。
こうして卒業後50年という大きな時間の流れを経て、相互の無事を確認しあいながら2時間半はあっという間に過ぎた。「次回は10年後とは言わず、3年後でも5年後でもまた元気に会いましょう。」と渡辺君(歯)の閉会の辞で去り難い思いを胸に、祝宴は閉じられた。その一方で、この間に医学部13名、歯学部12名もの大勢の仲間が惜しまれながら鬼籍に入ることとなった。痛恨の極みである。

2.記念文集“Twin Bridges 50”の刊行
これまでにも卒後30周年、40周年に記念文集としてTwin Bridges 30, 40 を刊行してきたので、今回も“Twin Bridges 50”の刊行が企画された。ただ、40周年以降、随分多くの級友が逝去されているため、刊行の達成度にはいささかの不安を抱きながらも、原稿締め切りを2月末、6月末に著者校正も行って、8月始めに発刊のスケジュールを設定して、刊行事業が開始された。
 会員の一人一人が卒後50年にあたり、是非記録に残しておきたい、あるいは伝えておきたいという思いが強かったのだろうか。投稿数はどんどん膨れあがり、医歯両学部等しく33名、計66名もの大勢の方々より玉稿をいただいた。これは生存会員の80%に達するもので、また、長編の原稿も予想外に多かった。過ぎた50年を淡々と振り返って来し方を確認する方、まだまだ余力に溢れて未来を展望する方、趣味、道楽の追求に余生をかける方、読んでいて飽きない。母校とクラス会をこよなく愛し続けた新冨君は病臥に伏す中で執筆を続け、脱稿と共に天に召されたとの連絡をご子息様よりいただき、クラス会にかける同君の熱い思いに目頭も潤んだ。故人となられた方についても記録に止めておきたいとの願いから、卒業アルバムの写真を転載して4頁の”亡き友を偲ぶ頁”も含めることとなった。かくして、総頁数186頁からなるカラー印刷版の”Twin Bridges 50”は、予定通りに8月1日に200部が刊行され、全員に送られていった。
多くの同級生は30周年、40周年を繋げて読まれたようだった。50年の年輪が幹を見事なまでに大きくしている、その様子が如実に読み取れる文集、との好評を得た。また、編集後記には「“Twin Brdges 60”はその時、考えよう」と記されている。なお、「Twin Bridges 50」は既刊の2冊とあわせて、同窓会館の書架でご覧いただける。

3.記念植樹
 平成27年秋、一年先輩が卒後50周年記念植樹を行った。それに続こうと、大学に問い合わせた結果、歓迎してくださるとの返事をいただき、実現に向けて動き出した。今年のホームカミングデイは10月16日(日)に予定されていたので、この行事に合わせて紅白2本の梅の木が、吉沢学長の他、事務局の各位、医学部から9名、歯学部より7名の参加のもと、大学西側の駐車場脇の植え込みの一角に植樹された。陽当たりの良い絶好の場所なので、年々大きく育って、来春からは梅見の場所が一つ追加された思いである。そして、「最後に紅梅、白梅が残った」ということになるのだろうか。

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開催日時 2014年12月6日(土)
会場 お茶の水医学会館9階「大会議室」
回生 医14回クラス会
報告者 吉田 賢一郎(医14・昭41卒)

どの様なクラス会にするか悩んだのですが、同窓会館完成記念の会にする ことだけが、決まっていました。また、日程も最初から12月6日土曜日を予定 していました。土曜日の午後に何をするかと思い悩んでいたのですが、最初は 寄席を考えていましたが、小生の趣味である音楽鑑賞を考えてみましたところ、 ちょうどその日12月6日午後2時開演のオペラがあることに気づいたのでした。 ウクライナのキエフ歌劇場による、プッチーニの「トーランドット」でした。このオペラは小生は何度も見ていて、非常に解りやすく、また面白い出しもので、きっと参加した人には満足いくものと判断し、最初にチケットを15枚手配しました。オペラが17時ころ終わり、その後18時より新築の同窓会館にて夕食会を催す手はずでした。その様な内容で何人から返事が来るか楽しみに待っていたのでした。結果は、オペラと食事会双方出席は15名、食事会のみが4名と小生の期待どうりで、しかもオペラだけが2名の追加がありました。当日のオペラは、1,2幕の演出が物足りなかったのですが、最後の第3幕は非常にみばえのあるものでした。そのため、おおかたの人が満足してくれたものと思いました。6時からの食事会では、佐藤理事長にも出席いただき大変楽しい会合となりました。幹事をやってよかったと感じた次第です。

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