同窓会活動のご案内

医40回生クラス会

開催日時 2024年2月11日(祝)
会場 東京ガーデンパレス
回生 医40回生クラス会
報告者 三上哲夫(医40・平4卒)

 2024年2月11日(祝)正午より、医40回生のクラス会を、母校の目の前の東京ガーデンパレス平安の間にて開催しました。私たちの代は、この数年間は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行により、対面でのクラス会は計画すら立てることができないでおりました。今回、COVID-19の感染症法上の扱いが5類に変更となったことを契機に、実に久しぶりに計画が立ち上がりました。同窓生44名の出席に加えて、来賓として医科同窓会副理事長山口武兼先生、前理事長大野喜久郎先生、名誉理事長佐藤達夫先生をお招きしての開催になりました。
 同期の脇田俊彦君が物故者となっており、開会に先立ち黙祷をささげました。開会の挨拶を山口副理事長から頂き、医科同窓会の近況、東工大との合併に伴う蔵前工業会との連携のことなどについてご説明いただきました。乾杯の発声を佐藤達夫名誉理事長のお年を召したとはいえ昔ながらの美声により頂き、賑やかな開宴となりました。料理とお酒を楽しんだ後、参加者全員による1分間スピーチが始まりました。しばらくクラス会の開催が無かったこともあり、近況が熱く語られたため、時間が1分ではあまりにも短く、幹事は時計と睨めっこの状態となりました。それでもなんとか、皆の協力により無事に時間内に全員終了することができました。閉会の挨拶を大野前理事長から頂き、最後に全員で集合写真を撮ってお開きとなりました。
 公式の2次会は設定しなかったものの、約半数の仲間がホテルのラウンジに残り、さらに様々な話題に花を咲かせていました。その席で、次回の代表幹事を桃原君が引き受けてくれることとなりました。
 同期生がいろいろな分野で活躍していることが分かり、また、医学部に進学したお子さんも数名いるようですし、一人一人の近況に驚き、かつ誇らしかったりするのがクラス会のいいところでしょう。対面で開催できて本当に良かったと思った次第です。

参加者

後列左より:岩瀬、坂下、笠原、小林、数井、加藤、渡辺(雅)、松永、飯田、吉田、安宅、渡辺(憲)、肱黒、岩田、桜沢

中列左より:藤田、澤崎(旧:越田)、小河原、江原、西尾、須賀原(旧:高原)、嶋津(旧:真金)、小野(旧:斉藤)、横山、藤本(旧:清水)、佐々、桃原、融、橋爪、中村(典)、三浦、早川、秋元

前列左より:若林、日浦、今井、小幡、大野前理事長、佐藤名誉理事長、山口副理事長、長谷川、堤、三上、水野、佐々木、高橋

前のページへ

開催日時 2023年11月23日
会場 山の上ホテル
回生 医14回生クラス会
報告者 山科正平(医14・昭41卒)

 昭和41年卒14回生の俗称41クラス会はこれまでほぼ年1回のペースで、メンバーの出身地あるいはゆかりのある地域で開催されてきた。しかし、2019年の信州での開催は台風の来襲により中止。その翌年から始まった新型コロナのパンデミックで外出もままならぬ状態が三年余に及んで中断されてきた。そろそろコロナも先が見えてきた2022年秋に、顔を合わせた数名のメンバーから2023年の梅か桜の頃には再開しようとのことで、その季節を待っていた。ところが梅の頃に幹事の小松清秀が病気療養のため入院という思いがけない出来事が勃発して、クラス会どころではなくなってしまった。
 クラス会を再開できぬままでいる間に、関口清二、小松英昭、三好邦雄、上笹皓、吉田賢一郎、浅井邦彦の6名が次々と逝去され、残り少なくなってきたメンバーにとっては一日でも早い再開が火急の課題となってきた。幸いにも小松清秀が半年余に及ぶ闘病から見事に寛解を得て再び人間社会に甦ってきたので、この期を措いてないとの判断より、2023年11月23日12時30分より母校近くの山の上ホテルにて開催に漕ぎつけた。当日朝になって田上洋子がワクチン接種による発熱で参加できなかったほかは、同伴者を含めて14名が待ち構えていたようにヨボヨボと、あるいは孫に手を引かれて馳せ参じ、古い校舎の講堂や実習室で額を付き合わせ、研鑽に努めたあの面々が、それぞれに加齢変化を漂わせつつも、賑やかに再会することができた。集会はお互いの無事を確認して記録にとどめる集合写真の撮影から始まったが、来るべき2名の遅刻者を待ちきれずシャッターが押された。撮影は永らくこの役を担当してきた瀬尾威久に委ねたことは言うまでもない。 
 6名の物故者へ黙祷を捧げた後、前橋から参加の桜井芳樹の乾杯の発声でフランス料理による宴が開始。しばしの歓談に続いていつものように各自の報告。未だにフルタイムで医療の最前線で患者に向き合うのは岡田弘と本宮武司だけのようで、他はパートあるいは患者役に廻って医療の問題を肌で感じつつも、大方は悠々自適の老後を楽しんでいる。
 終宴となって近く改修工事に入る山の上ホテルの玄関前に出たところ、遅刻していた菅田夫妻がタクシーで駆けつけ、ここでやっと参加予定者が全員揃って一次会は終了。余力のある10名ほどは駿河台の坂を登って母校の前庭に新しくできた植え込みを散策、卒後50週年記念で植樹した梅の木が大きく育っていることを確認。そのまま湯島会館でお茶を飲みながらの二次会となった。
 思い返せば昭和41年3月の卒業時に49名で発足した41クラス会、慌てて彼岸に渡った22名を見送りながらも、半数越えの27名が現有メンバーとして減衰線の上にしがみついている。随所に慢性病を抱えているものもあるようだが、それぞれに意気軒昂なので、これからも何回でも41クラス会を繰り返して互いの無事を確認し合いたいものだ。

参加者

後列左より:中野、岡田、安藤、山科、小松、瀬尾
前列左より:桜井徹志、本宮、北田、小川、安藤夫人、平山、遠藤、桜井芳樹

前のページへ

開催日時 2023年10月21日(土)
会場 お茶の水医学会館7F「ラウンジ」
報告者 鎌田昭次(医16・昭43卒)

 3年半に亘る新型コロナウイルス感染症が5類になったと報道されましたので、5年半振りのクラス会を令和5年10月21日(土)にお茶の水医学会館7Fラウンジで行いました。
 (この学年は卒業後、1年間のインターン制度が6年生の時に出て俸給(ほうきゅう)が出ないことに着目して、全国の医学連が「奇想天外」の同盟(ストライキ)休校を決行しましたが、大学病院も休診ですので顰蹙(ひんしゅく)を買い衰退(すいたい)の一途でした。大学からは、授業時間が足りないので7年間になりました。更に又同級生には、台湾、沖縄、タイ、パキスタン出身の学生が、全部国費留学生でしたので、当時の北 博正医学部長(衛生学)に懇願(こんがん)し6年で卒業し、医師国家試験に間に合い、合格して同窓生として喜び会いました。学生運動が頂点に達した時代です。)
 殆どの同級生が傘寿(さんじゅ)を超えましたが、今までのクラス会と大きく替わったことが、クラス会の御返事で理解できました。「歩行ができないので欠席する。」「診療所の中を、杖(つえ)を曳(ひ)かねばならないので外に出られない。」「御主人が病気なので行けない」等々でした。所謂(いわゆる)「フレイル」なのです。
 その中で大きな表彰状を拝受(はいじゅ)された同窓生がおります。第51回医療功労賞(読売新聞主催)を愛媛県今治市吉海町の齋藤 俊(たかし)君(79歳)が令和5年3月25日に受賞されました。おめでとうございます。大喜びでクラス会に出席して下さいました。結婚に付き、何処(どこ)に開業するかを考えている時に、義父が住んでいる愛媛県越智(おち)郡吉海長福田が過疎地(かそち)であるが、人が良い人が多い。人口1万2千人で、齋藤君が二人目だよと餞(はなむけ)の言葉にして推(お)し薦(すす)められ驥尾(きび)に付してご家族の協力もあり今回の喜びになりました。平成12年にはケアマネージャーの資格を自ら取り、現在は長女の人と共に地域医療の継続を目標としていると有ります。頑張ってください。

参加者

市橋秀夫、上野格成、鎌田昭次、川井紘一、小山嵩夫、斎藤 俊、高野尚志、角尾 肇、原 一之、平賀聖悟、福井 巌、古川 眞、山本淳一

前のページへ

開催日時 2023年11月25日(土)
会場 学士会館
報告者 永田 傳(医26・昭53卒)

 昭和53年卒26回生の同窓会を、11月25日(土)に東京千代田区神田錦町(一ツ橋)の学士会館で開催しました。幹事は烏山一君、檜垣恵君でした。この学年は、医科同窓会名誉理事長の解剖学の佐藤達夫先生が母校の教授になられた最初の学年で、懐かしい「達ちゃん」先生が出席して下さり、お互いにやんちゃだった頃の思い出に浸ることができました。当日は、気温が10度と低かったのですが佐藤教授が水道橋からは歩いてこられたと伺って、そのお元気なことに驚きました。
 出席数は約6割の40人でコロナ禍があったため5年ぶりの再会でした。これまではクラスの全員が元気でしたが、今年に入って同級生が3名亡くなったとの残念な報告を中元和也君、檜垣君、烏山君から受け、全員で黙祷を捧げご冥福を祈りました。徳島から鎌田周作君、奈良から野村朗君、兵庫から小山恒君、大阪から保脇淳之君と菅尾英木君が駆けつけてくれました。出席の予定だったのに、お孫さんから移った呼吸器感染症のため欠席を余儀なくされた1名と、新型コロナの影響を懸念しての欠席者1名がいました。この学年から、学卒入学者が増えたため、出席者の年齢は傘寿になる3名から古希になった者まで多彩です。
 東工大から医科歯科に入学された浅地徹君も長野から出席してくれました。今年、医科同窓会理事長になられた東京有明医療大学学長の林 洋君からは、母校の合併に際しての同窓会の今後についての前向きの見通しを伺うことができました。野口英世記念医学賞を受賞された烏山君は、受賞の対象になった好塩基球の役割について研究成果をやさしく話して下さいました。
 そのほか、多くの人から近況報告を受け、息子・娘さん達が跡継ぎになることや、お孫さん達のことなども話題になり、2時間があっという間に過ぎて名残惜しかったです。佐藤先生も最後までおられましたが、お帰りは中元君が同行してくれました。翌日のゴルフには欠席だった肥川義雄君と宮野龍美君が参加してくれて11名参加でした。他学年との対抗戦はいつでも受けて立ちます(幹事:小澤 潔、檜垣 惠)。

参加者

(50音順)浅地 徹、飯高 誠、泉 並木、江石 義信、大草 敏史、小澤 潔、加藤 淳、鎌田 周作、亀井 真理子、烏山 一、
小山 恒、桜井 俊一朗、佐々木 純一、倉沢 滋明、菅尾 英木、鈴木 博之、宋 時栄、高木 麻栄、武野 俊弥、田澤 俊明、
田中 弘彦、張 明哲、中元 和也、永田 傳、野間 剛、野村 朗、服部 光治、林 洋、檜垣 惠、姫野 友美、平野 裕司、
細矢 則幸、松本 容秋、眞鍋 淳、村上 直已、室橋 郁生、保脇 淳之、山川 文男、吉岡 あき子、吉積 隆

前のページへ

開催日時 2023年10月15日(日)
会場 飯田橋ホテル・メトロポリタン・エドモント
報告者 北川昌伸(医29・昭56卒)

 東京医科歯科大学昭和56年卒業(29回生)の医学科・歯学科合同クラス会が、10月15日(日)午後4時より飯田橋のホテル・メトロポリタン・エドモント・クリスタルホールで行われました。本来卒後40周年記念として2年以上前に行う予定だった会が、コロナ禍の影響で本年開催がかなったという形です。永らく対面でこのような会が開催できなかったこともあり、出席者は医学科30名、歯学科46名で、大変盛大なクラス会となりました。
冒頭、前回クラス会から今回までにご逝去された医学科、松永高志 君、朝尾和彦 君、歯学科、泰羅雅登 君、曾根田兼司 君、岡安勝廣 君のご冥福を祈って一同黙祷。続いて、ご多忙の中ご臨席頂いた浅野正樹 歯科同窓会長、林 洋 医科同窓会理事長から心温まるご来賓挨拶をいただき、感激いたしました。大学生活を共に過ごした時代の懐かしい思いやそれからの出来事が皆の胸に去来しました。
 歯学科の北 潤市 君のご発声で乾杯が行われた後、歓談の時間となりましたが、今回のクラス会では卒後42年以上を経て全員が65歳を過ぎたこともあり、定年退職や職場・立場の変化を経験した仲間も多く、学生時代からの仲間との再会は特に感慨深いものとなり、大いに話が弾みました。
 続いて、母校の理事を務める東條 有伸 君から「東京科学大学構想」についてのレクチャーをいただき、今後の大学について様々な思いを馳せることとなりました。
 近況報告は前回不参加で、今回参加していただいた方々の中から、A組、B組、C組の代表3名、医歯で合計6名の方(医:口蔵桂子 君、佐藤葉子 君、平山謙二 君、歯:伊東弘恵 君、橋本尚詞 君、三代知史 君)にお願いしました。
最後は歯科の小笠原浩一 君の閉会の挨拶で締めとなり、何年か後に45周年記念のクラス会での再会を約して三々五々、帰宅の途に就きました。素晴らしい会になったことを関係者の皆様に御礼申し上げます。末筆ながら浅野 会長、林 理事長、そして29回生の皆様の益々のご健勝を心よりお祈り申し上げます。

参加者

〇参加者(医科のみ)
飯田 勉、石橋俊郎、泉田京子、樫本 温、嘉和知靖之、菅野 純、北川昌伸、口蔵桂子、車地暁生、車地祐子(旧:中島)、神山 潤、小山恵子(旧:高尾)、佐藤文宣、佐藤葉子、下平雅之、将田耕作、鈴木真理子(旧:白浜)、高橋茂樹、高原真理子(旧:飯田)、多湖光宗、都築浩雄、出口文作栄(旧:斎藤)、東條有伸、東條尚子 (旧:墨)、中村卓郎、平山謙二、水口淳一、山下陽子(旧:中曽)、吉野幸夫、和田義明

前のページへ

開催日時 2023年9月30日(土)
会場 庭のホテル東京
報告者 高松 督(医36・昭63卒)

 2023年9月30日(土)の17時30分より医36回生のクラス会がJR水道橋駅近くの「庭のホテル東京」で34名の出席のもと開催されました。前回のクラス会は卒後30年という節目である5年前の2018年に歯科と合同で開催されました。今回もこの日に歯36回生のクラス会がおこなわれるという情報があり、合同開催を検討しましたが、諸事情により同じ日ですが別会場での開催となりました。
 司会の開会宣言後に、日本赤十字社医療センター産婦人科の笠井靖代さんから乾杯の挨拶がありました。乾杯後は久しぶりに会ったにもかかわらず、すぐに会場のあちこちで話に花が咲いていました。今回のクラス会は、はからずも現役で入学した人が還暦を迎えるタイミングでしたので、どの顔にもそれぞれの人生の年輪を感じました。それでも、学生の頃の面影は色濃く残っていて、自然と名前が思い浮かんで懐かしく思う一方、それぞれが経験された病気の事が話題になったのは、やはり「時の流れ」ということでしょうか。
 クラス会の終盤に今年の4月に本学附属病院の病院長に就任した腎泌尿器外科学教授の藤井靖久君から挨拶がありました。その挨拶の中で、今回のクラス会を言い出した齋藤之伸君が本年7月に亡くなられた報告がありました。齋藤君は闘病中でしたが、今回のクラス会を非常に楽しみにされていて、万が一、クラス会に出席できなかった時は、会の終わり頃に藤井君から同級生に伝えて欲しい、という希望があったという話がありました。
 その後ちょうど終了時間の19時30分となり、閉会の挨拶を今回国内で最も遠くの広島県福山市から参加してくれた海野剛君にお願いしました。「国内で」というのは、岸 美佐さんがはるばるアメリカから駆けつけてくれたことが幹事の頭からすっかり抜け落ちてしまったためです。
 最後に集合写真を撮影し解散となりましたが、会が2時間と短かったこともあり、皆とても名残惜しそうでした。次回のクラス会では今回参加できなかった人も含めて、また皆に会えることを心から願いつつ、報告を終わります。       

参加者

後列左より:丸山、田澤、金子、山本(克)、吉田、前川、小平、飯塚、海野、檀、大塚、藤田、石田、
      出江、下川、藤井
中列左より:小泉、角、江面、岩田、川又、鮫島、上條、中島、篠原
前列左より:石原(岡林)、岸、布施、水口、澤田(石川)、高松、笠井、久手

前のページへ

開催日時 2023年6月24日(土)
会場 神田イタリアンレストラン「オステリア・ラウロ」
回生 医41回生クラス会
報告者 清水雅人(医41・平5卒)

 我々の卒業した1993年は、SNSはおろか携帯電話や電子メールも無く、ポケットベルを肌身離さず仕事をするような時代でした。卒業生は皆散り散りになりましたが、何とか連絡をとりあって同級生の飲み会は毎年開催されていました。1998年頃が携帯電話・パソコン・電子メールの黎明期で、2003年に私が同級生のメールアドレスを集めてメーリングリスト(ML)を作りました。このMLはその後大活躍してくれて、なんと今までコロナ禍の3年間などを除いてほぼ毎年同級会を開催することになりました。記録に残っている限りで25回、この開催回数はおそらく本学随一のものではないかと推測しています。
 2023年6月24日、卒業して丁度30年目、3年ぶりに同窓会を開催しました。学生時代にさんざんうろついた懐かしい神田古本屋街の裏のイタリアンレストラン「オステリア・ラウロ」に22人が集まりました。清水と大渕信久先生が今年の幹事でした。
 今回連絡のとれていなかった同級生にも検索や人づてで連絡先を調べて手紙を送り、卒業生ほぼ全員への連絡に成功しました。じつに30年ぶりに返信をくれた同級生も何人かいました。太田哲也先生は茨城県の大自然の中で悠々自適の小児科医生活を送っていますが、ほんとどれほどぶりの再会だったか。大学で教授になって頑張っている形成外科の森弘樹先生、循環器内科の笹野哲郎先生、ほかに教授と名前のつく同級生もたくさん、大病院の副院長になった先生、医学部に進学した子供さんもたくさん。皆いい歳になって若い頃のとげとげしさがすっかりなくなり、ひとりひとりの近況を聞くと自分のことのように嬉しかったり誇らしかったりするのは、歳くったせいもありますが毎年会っている仲の良さ所以でしょうか。時代はすっかりSNSですが、MLでゆるくながくつながっているのが逆によいのかもしれません。さらにこれから30年、80歳90歳になっても集まろうと笑いながら話していましたが、そこまでの毎年開催もあながち夢ではないような医41回生です。

参加者

後列左より:阿江、桑原、鳥山、武居、山田(康)、飯山(山口)、笹野、大渕、森、山下
中列左より:山本、依光(吉田)、清水、太田、小林(山田)、小川原(飯塚)、萩山、田嶋
前列左より:菅本、二神、田中、立石

前のページへ

開催日時 2023年5月13日(土)
会場 帝国ホテル東京「孔雀西の間」
報告者 小笠原 陽(医21・昭48卒)

 令和5年5月13日(土)午後6時より、21回生の卒後50周年記念祝賀会が、名門帝国ホテル東京「孔雀西の間」にて開催されました。今回も歯科との合同での同期会で、医科48名(ご家族13名)、歯科36名(ご家族4名)の多数の参加を得ました。出席者が多かったのは『今回が最後の大きな同期会になるかも知れない』という“危機感”の現われかも知れません。事実この50年間に天国に旅立った同期生はなんと医科8名、歯科20名の多きに達しており、先ずこれらの仲間達の紹介と黙祷を捧げるところからの開会となりました。
 開会の挨拶は元医学部長の湯浅保仁君(予定では元医学部附属病院長の宮坂信之の担当だが何故か当日欠席)にお願いし、次いで歯学部同窓会長の浅野正樹君に今話題の「東京科学大学構想」について講演を頂きました。そして永らく日本赤十字社に勤務され現在も日本赤十字学園理事長として活躍中の富田博樹君乾杯の発声でようやく賑やかな開宴となりました。30分間ホテル自慢の高級フランス料理とワインを楽しんだ後、参加者全員(家族を含む)による1分間スピーチが始まりました。各人の“医者としての50年”“人間としての75年”の熱き想いが語られましたが、時間が余りにも短かく、スピーチ・クロック(大井光雄時計係)によるタイムオーバーにてイエローカードの続出で会場は騒然となりましたが、何とか無事に全員終了することが出来ました。続いて第2校歌・佐伯孝夫作詩『湯島の白梅』をカラオケ用の曲を流しながら全員で大きな輪になって3番まで完唱しました。
 閉会の辞は歯科で一番遠い大分県からの園田秀明君(医科では鹿児島からの上原孝一郎幹事)にお願いし、5年後の2028年の卒後55周年記念会(皆が80才位になる予定)に元気に集まることを誓って終宴となりました。
 翌14日(日)には大井ゴルフ幹事のご尽力によるゴルフ会が、千葉CC川間コースにて4組14名で開かれました。医科からは飯野、上原、大井、小笠原、河野一郎夫妻、野垣、林、村上が参加。特筆事項は歯科の同期生の牛込博義君が74のエイジシュートでベスグロ優勝でした。


参加者

医学部のみ:飯野靖彦、黒井 信、上原孝一郎、高地恭二、榎原英夫、河野一郎、大井光雄、河野祐子、大森啓造、五関謹秀
小笠原 陽、斎田幸久、岡村 孝、斉藤憲治、岡村秀子、佐藤茂仁、川村清一、檀 和夫、草間克浩、富田公夫
富田博樹、村上博彦、富松 隆、村田英雄、西山敬二、本江 卓、野垣 敬、安田 滋、浜田節雄、山岡昌之
林 正孝、湯浅保仁、東 四雄、平尾準一、武藤政春

前のページへ

開催日時 2023年7月23日(日)
会場 東京ガーデンパレス
回生 医34回生クラス会
報告者 赤松秀樹(医34・昭61卒)

 コロナ禍続く中で同期会を強行できたが、予定より2年遅れて卒後37年目の開催になった。3年前から毎年同期全員に近況を聞く案内を出して連絡を取っていたので、予想外に多くの同期38人が出席した。前回の会から7年たつ間に亡くなった者や連絡がつかなくなった者が増えているのは悲しいことであるが、皆年々年を取っているということを実感した。しかし集まった者の顔・しぐさは学生時代とあまり変わってないのは驚きであった。
 大野理事長のご挨拶では、今年になって初めての同期会への招待とのこと。我々の会を先駆けとして次々に同期会が開かれることを期待している。次に同期で唯一の母校教授になった人体病理学の大橋先生が「アミロイドーシス、最近の話題」の題でスライドによる講演を行った。我々の学生時代には何も治療のなかった難病が今や原因別に細かく分類されて効果的な治療法が出ているという話題が聞けた。質問もいくつも出て、まるで学会かと思われる様相には驚いた。
 会場のガーデンパレスは久しぶりの利用であるが、料理含めておいしかった。母校の目の前で会を開ける意義は大きいと思われた。司会の福水先生がうまく促して1人1~2分のスピーチで近況報告をした。同期会に初めて参加の者もおり、皆なつかしさを存分に楽しめた。あっという間に2時間が過ぎ、最後に大野理事長を真中に女性陣5人と大橋・中山教授を最前列に、その他大勢で集合写真をとって1次会をお開きにした。2次会は人数が減ったものの病理学教室に場所を移動して更に数時間、大学の働き方改革の問題点など含めて様々な話題に花が咲いた。同じ釜の飯を食べた同期が集まるのは本当に嬉しいものである。次は3年後の歯学部同期との合同の会が楽しみである。 病気しないで次回も元気に皆が顔を合わせられることを祈っている。

参加者

最後列左より:富田和久(顔一部しか出てないが)・福水・川村・諸星・赤松・進藤・筧・市川忠・大見
後列より:鎌田・西田・長濱・林・米瀬・谷澤・高島・山本・遠坂・下田・綿貫・櫻井・佐藤
中列より:先﨑・河村・泉谷・市川度・西・高山・菅野・松田・酒井
前列より:大橋・中山敬一・中山啓子・梶原・大野会長・細井・田中・山田

前のページへ

開催日時 2023年4月22日(土)
会場 東京ガーデンパレス
回生 18回生医歯合同クラス会
報告者 伊藤眞一(医18・昭45卒)

 コロナ禍のため延び延びになっていた卒業50周年クラス会をやっと2023年4月22日土曜日、懐かしい東京ガーデンパレス(旧湯島会館)にて歯学部と合同で行うことができました。1964年(昭和39年)東京オリンピックの年、我々は晴れて東京医科歯科大学の合格を言い渡され、ウキウキしながら国府台のバス停を降りました。その時僕たちが観たものは田舎の小学校を思わせる貧弱な教養学部、しかしそれからの2年間医学部歯学部がABC組に分かれ机を並べ仲良く学びました。放課後の時間、あるものはスポーツに、あるものは恋愛に、あるものは趣味の世界に、まさに青春そのものの世界でした。
 あれから50年余りの今、医学部26名・歯学部27名出席のもと約3時間宴会は続きました。未だ精神科の重鎮一瀬、教養時代と変わらない風貌の岩間、耳鼻科開業医の小川、母乳の大切さを世間に訴え続ける奥 起久子、肝庇護剤ウルソの第一人者木村、スカルで欧州を旅するボート部OB金、息子を本学感染症の教授に育てた具、開業の傍らヨット生活を楽しむ久保、福島の3.11で活躍した精神科医熊倉、三代の医師を育てた坂本、未だお産に取り組む志田、外科医の傍ら和歌を嗜む砂川、OISTで神経シナプスの研究を続ける高橋、自室にツァイス顕微鏡を持ち込む病理学者武村、大学で腎臓内科学を教える戸村、埼玉の産科ナンバーワンクリニックの成田、産業医で活躍の永島、日本医師会[赤ひげ大賞]を受賞した西嶋、本会のマネージメントの全てをやってのけた原、九州で開業医生活を楽しむ松井、夫婦でリハビリを実践している皆川、沖縄で麻酔科医を楽しむ村田、弟子をサポートのため月一回愛媛県に出かける山本、山を楽しむ小児科医吉村、熱海にて夫婦で心療内科診療をする吉山、糖尿病専門クリニックを続ける伊藤、以上医26名が参加しました。それにしても68名入学していたのに、1/3が他界したことは、悲しくてならない。合掌

前のページへ